家族以外の関わり

障害者にとって、家族とりわけ両親とりわけ母親には、周囲の人達はとにかく絶対的な愛情を持つことを求め、母親自身もその呪縛に縛られていたりすることが多いものです。

そういった絶対的かつ理想的な関係性を求めて四苦八苦しているうち、ある程度のところまでいくと、親とだけ親密でいることだけが果たして障害者本人にとって幸せなのか?という疑問にぶち当たります。

うちにも中学1年生の重度知的障害を持つ長男がいますが、先日久しぶりに学童に様子を見に行った時、私が考えていたよりもそこで過ごすことをずっと楽しんでいたのでびっくりしました。

同じ年くらいの男の子がブランケットをかけて寝そべっていたのですが、うちの長男が横に座って、その子と自分にブランケットを深くかけて寝そべっていたのを見ました。

(モーホではないと思う(笑))

うちの長男は、生まれた時から一般的に子どもがするであろう遊びを全くせず、就学直前にお人形さんに毛布をかけてあげる仕草を見た時にも相当感動しましたが、中学生の今は、リアルな人間であるおともだちに対してそんなことが出来るまで成長をしたのです。

きのうの新聞(朝日新聞2016年9月8日29面)に、似たような状況の方の投稿が載っていたので、読んでみてくださいね。

「友の心配をする息子」

 42歳の長男はコミュニケーションが難しい重度の知的障害者だ。グループホームで暮らして9年あまりたつ。今は5人の仲間と過ごしている。

 2年前の出来事である。私たち夫婦は長男と一緒に2泊の旅行に出かけた。ところが、車が発車したとたんに「T君が…」「T君が入院した」と小さい声でつぶやき始めた。

 T君はグループホームで一緒に暮らす友達で、病気のため病院通いを続けていたのだった。

 それからは食事の時も入浴中も、その言葉だけが繰り返され、表情も次第に険しくなっていった。その日はその言葉が途切れることはなく、とうとう長男は一睡もせずに朝を迎えた。

 そして、1泊を残して帰ることに決めた。グループホームに着くと、長男は玄関に立ち尽くした。「T君の部屋に行ってごらん」と促すと、ドアを開けた。T君は床に座っていた。

長男は何も言わずそのままドアを閉め、ほっとしたような表情を浮かべた。そして何事もなかったかのように、自室に入った。

 それだけのことである。だが私は、幸せの種を心にまいてくれたような気持になった。

千葉県野田市 ○○ ○子 主婦 69歳