チン、チン、チンのルイゼッタ
イタリアの児童文学作家のアルジッリが作ったお話。
イタリアの児童文学作家というと、イタロ・カルヴィーノが有名ですね。イタリアの児童文学というと、人々の描写が労働者が基本であるというところがカルヴィーノにも共通するところで、映画の自転車泥棒にも通じるような暗いせつなさがあるところが特徴的です。
アルジッリのこの作品もカルヴィーノの作品も自転車泥棒も、第二次世界大戦の前後あたりの作品なので、その暗いせつなさにも納得がいきます。
ある下町にとても素敵な自動販売機が置かれていました。
細い穴に、書かれている金額のコインを入れると、チン、チンと音がして欲しい食べ物がお皿にのって出口からすべり出してきます。
自動販売機の上の大きな看板には、こう書いてあります。
「すべての人たちのお食事ー名高いルイゼッタ社特製」
チン、チン、チン、チン・・・機械はみんなにサービスするのに大忙しでした。
そこへ2人の失業者が通りかかりましたが、ポケットにある小銭では2人合わせても何ひとつ買えませんでした。2人はぶつぶつ言いました。
「なにが ‟すべての人たちのお食事 ”だ」「おれたちは、すべての人たちの中には入っていないのさ」
機械はそれを聞いてがっかりしました。機械はこれまで、お客さん達がおいしそうに食べるのを見て幸せな気持ちでいました。ところが2人の言葉を聞いた今、自分に出来ることはお金を持っている人たちだけへのサービスだと機械は気付いたのです。
やがて機械は自分がなにかわるいことをしているような気がしてきました。もし、お金を入れられる人たちにしかサービス出来ないのなら、きっと作り方が間違っているのだ、と機械は思いました。
ある夜のこと、二日ほど何も食べていない男がやってきて、本当は百リラ入れなければならないところ、やけくそで五リラ自動販売機の穴に入れたところ、チン、チンと音がしてちゃんと受けだなの上にすべり出てきたのです。
その日からお金のない人たちがどっとやってきて、こっそり小銭を入れて好きなものをおなかいっぱい食べました。
「ルイゼッタのところへ行こう」 ガールフレンドのようにルイゼッタなどと呼ばれて、自動販売機はとても幸せでした。
しかし、自動販売機を置いているお店の主人が、売り上げが合わないということに気が付きます。そして、次にこんなことがあったらその時にはお払い箱にしてやると言いました。
それでもルイゼッタは、みんなの目が見本のお皿を食い入るように見ているのを知ると、自分の体に書かれている「お金を入れる前にちゃんと確かめてください」という言葉を忘れてしまうのです。
「ねえ、みんな。私はみんなのおなかをいっぱいにするために作られた機械ですもの。みんなを飢え死にさせるわけにはいかないわ。さあ、食べてくださいな。チン、チン。どうぞ、おなかいっぱいにね。」
・・・こうしてついにルイゼッタは処分されることになってしまいます。
「みんな、悲しまないで。私のあとにもきっと、みんなの役に立つ機械がやってくるわ。私たち機械はそのために生まれてくるんですもの。いつかきっと、誰にでも、ただで食べ物を出す機械がやってくるわ」
ルイゼッタに口がきければ、きっとそう言ったことでしょう。
・・・というお話です。
「機械」というのは、「国」のことなのでしょうね。
小学校中学年から読める本とされていますが、苦労知らずの子供達にはピンとこないかもしれません。
私も、今ならこの本の良さがわかります。
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