今日で半年
相模原の障害者施設での大量殺傷事件から今日で半年になるそうです。
この事件では、犯人の残虐性のほうに照点が当てられており、犠牲者のほうにもっと目を向けるべきではないか?といった視点を大切にしたいと訴えている方がいらっしゃいます。
http://mainichi.jp/articles/20170125/ddm/041/040/141000c
これ、きのう(2017年1月25日)の毎日新聞の朝刊のほうだったかな、で読んだんですが、結構色々と想像を掻き立てるものがありまして・・・
だって、犠牲者の中の5,6人の方(紙面には全員掲載されていなかったので、実際はもっといるかもしれませんが)、年齢が「不明」と書かれていたんですよ?
だって親が男性女性2人いて、子どもの誕生日を知らないっていうのって、どういうシチュエーションだったらそうなりますか?
私は長男が重度の障害児だから、そういう立場の人ならばある程度のことわかるんじゃないかって思うかもしれませんが、いくらそういう子を産んだ私にさえ「子どもの生年月日がわからない」という状況が想像出来ないのです。
新聞に載っていた犠牲者の中の10人くらいの特徴と年齢・性別などの一覧に「年齢・不明」があったのですが、もうその部分を見ただけで胸がざわついたんです。
どうして?事件以前に、境遇的に何があったの?って。
新聞の記事には、年齢がわからない理由などにも想像をめぐらせてみてもいいかもなんてことは書かれていませんでしたが・・・
重度の知的障害児をリアルに持つ私でさえ、想像出来ないような世界があるのだ。
リアルに障害者に接する機会のない人は、もっともっと理解出来ないはずだ。
未知の世界と言ってもいいと思う。
私達は、残虐な犯行に及んだ犯人の事を考えるのと同時に、犠牲者になった障害者の人達の境遇や、生前どのように周囲の人達と彼らが関わってきたのかを知る必要があると思います。犠牲者を理解しなければ、犯人も理解出来ないと思うのです。
殺されたり、傷を負わされた19人の方々がどういう人達だったのか、私は知りたい。
順当にいけば、長男より私のほうが先に死ぬし、場合によっては私の子のうち二男のほうが長男より先に死んでしまって、長男が天涯孤独になる可能性だって高いわけです。
そういった時に、私の長男がどれだけ私や周囲の人達に愛されて生きてきたかをわかってほしいし、私が死んでも私の子を可愛がっていってくれますか?という願いがあるのですから・・・
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