ヒトラー・ユーゲントの本

今、わが国の首相が関わっていると言われている大阪の幼稚園での教育が、ヒトラー・ユーゲントと同じだと指摘されています。

ヒトラー・ユーゲントとは、1926年に設けられたドイツのナチス党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織で、1936年の法律によって国家の唯一の青少年団体(10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられた)(by ウィキペディア)・・・のこと。

このヒトラー・ユーゲントでの実体験を描いた作品があります。

「あのころはフリードリヒがいた」ハンス・ペーター・リヒター/ 岩波少年文庫  です。

この作品は、このあと続編が2冊出ていて、3部作となっています。

ドイツ人の「ぼく」は、ユダヤ人のフリードリヒと幼ななじみとして付き合ってきたのですが、ユダヤ人迫害の政策のために、その2人と2人を取り巻く人達の関係性が徐々に崩れていく様を描いています。

どちらかと言えば、フリードリヒの家のほうがぼくの家よりも裕福だったのですが、逆転してしまうんですね。

例えば、ユダヤ人は映画を見ることを禁じられていたりとか、公園ではドイツ人が座るベンチは緑色、ユダヤ人が座るベンチは黄色と分けられていたりとか、そういうことが書かれています。

「ぼく」がヒトラー・ユーゲントに入るのが、2作目の「ぼくたちもそこにいた」です。

1作目の終わり頃からそうなのですが、2作目も3作目も、物語の中でバサバサと人が死んでいくのです。ああ、これが戦争というものの現実なのだなという感じです。

3作目は、学校を卒業して、兵士に志願をして、最後には戦争が終結をするところまでを描いています。

人種差別が盛り込まれた少年ものの読み物という意味では、マーク・トウェインの「ハックルベリィ・フィンの冒険」もそうかもしれませんが、ちょっと作風が異なるんですよね。

マーク・トウェインのほうは、人間の心理描写のほうにかなり力を入れて書くタイプなのですが、リヒターの場合は淡々と事実を語っていく・・・といった感じなのです。

やはり、創作ものと実体験の違いというものもあるので、そこは決定的な違いと言えるかもしれません。

人種差別の様子が描かれているのは1作目で、ちょっと読むのがつらいです。

ドイツであったのですから、日本だってあったはずなのです。

その視点を持って、この本を読んでほしいと思います。

日本人も戦時中、中国人や韓国人に対して同じようなことを行なったかもしれないのだ・・・と。

ヒトラー・ユーゲントに関する書籍は、思ったより多くは出ていないようで、この本は事実に基づいた小説ということで、貴重かと思います。

ナチスに関する書籍では、強制収容所での経験が描かれたヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」が有名ですが、それと比較してこの岩波少年文庫の「あのころは~」は私の書店時代にあまり売れた記憶がないので、あまり読まれていないという実感があります。

現役の書店員さん達には、今こそ積極販売をお願いしたいと思います。




「あのころはフリードリヒがいた」 /   岩波少年文庫




「ぼくたちもそこにいた」   /   岩波少年文庫





「若い兵士のとき」  /   岩波少年文庫