「怒り」は悪か
自分のブログを客観的に見るというのは難しいとは思うのですが、なんとなくわかるのは、「この人、何かに対して怒っているな」とか「抵抗しているな」とか「闘っているな」とか「不満を持っているな」というムードはあるんじゃないかと思います。
それなのにもかかわらず、ですよ。フォロワーさんが7人いてくださるんです。
それがうれしくって。
小学5年生の時に、クラスの皆に一人ひと言づつメッセージを書いてもらった色紙があるのですが、それを見てみると、どうやらその頃から怒っていたらしいんです。
けんぞう君という男の子と付き合っていたのですが(付き合っていたというより、相思相愛を確認していたというのが正しいかな)
皆からのメッセージを見てみると・・・
「 あまりいばるな / けんぞうより」(男子)
「もっとけんちゃんと仲良く / 康より」(男子)
「あまり怒るともてないよ / 岡本より」(男子)
「怒りすぎだよ / 矢野より」(男子)
・・・と、自分でも思い出せないのですが、何かに対してよく怒っていたようなのですよね~。
そんな中で、キラリと光るひと言があったんです。
「発言がはっきりしていていいね / 市川より」(男子)
実はこの市川君には、翌年の小学6年生の時に、交換日記をしてくださいというラブレターをもらうことになるのですが・・・
小学5年生でも、市川君は私の言っていることに自分なりの理由がちゃんとあり、それをはっきりと他の人に伝えたいのだということを理解してくれていたのでした。
その事に気が付いたのは何十年も経ってからになってしまいましたが、今頃になって市川君のこの言葉に励まされているのです。
クラスの中に一人くらいの割合でも、自分の意見をちゃんと聞いていてくれる人っているんだなって。
市川君は、私がただ単にヒステリーになっているわけでもなく、八つ当たりをしているのでもなく、ちゃんと「意見を表明している」というポイントを押さえていてくれたのだった。
そして思うのですが、日本人って「怒り」という感情の表現に対してイコール「悪」という概念が強くはないでしょうか?
私はこの考え方に対して抵抗感を持っています。
怒るべき場面というのは必ずあるはずです。「喜怒哀楽」というではありませんか。
「怒」だけ抜けるのはおかしいでしょう。
「不平不満を言う」という事に対しても「悪」と捉えられています。不平なんだから不満になるのは当然じゃないんでしょうか?と私なんかは思いますが。
私は声を大にして言いたいです。
怒るべき場面では怒るべきだと。
ハングリー精神ならぬ「アングリー精神」を忘れずに!
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