メルトダウンの時の話
NHKのニュースで目立ったのは、国民の間にパニックを引き起こさないように、過激な内容を避けるという配慮だった。
私は1982年から8年間にわたり、神戸、東京、ワシントンでNHKの記者として働いていた。NHKに入局後3ヶ月間は、東京・世田谷区にある研修所に泊り込みで新人研修を受けた。
私はこの研修で、先輩記者たちから「災害報道の時には、国民に安心感を与える報道も必要」ということを教え込まれた。
その背景には、災害時にはNHKのニュースを頼りにする視聴者が多いという事実があった。このため、福島事故を伝えるNHKのアナウンサーや記者たちも、「国民のパニックを避ける」という点を重視しているように思えた。
実際、彼らはとても慎重に言葉を選んでいた。同様に、日本政府が発表するコメントにも、「国民に強い不安を与えるまい」として、抑えた表現が多かった。
3月12日の時点では、政府の公式声明の中で「炉心溶融」という言葉はタブー視されていた。炉心溶融(メルトダウン)とは、何らかの原因で原子炉が冷却できなくなり、炉心にある核燃料やそれを覆っている素材が高熱のため溶ける現象である。原子力安全・保安院のある審議官が、3月12日午後の記者会見で首相官邸側の承諾を得ずに「1号機では、炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発言したところ、その審議官は広報官のポストから外された。当時首相だった管直人氏が、原子力安全・保安院から「炉心溶融が進んでいる」という見方を公表すると事前に聞かされていなかったため、激怒したのだ。
その後保安院は、「燃料棒の外側の被覆材の損傷」という言葉を使った。現在では、政府も東京電力も3月12日午後の時点で炉心溶融が起きていたという見解を持っていた。
私は、このエピソードを聞いた時、太平洋戦争の軍部が大本営発表の中で「撤退」という言葉を使わずに「転進」という言葉を使ったことを思い出した。
「撤退」という言葉には、敵の攻撃を防ぎきれなくなったので、戦場から逃げ出すというイメージを持たせるが、転進と言う言葉を使えばそのイメージは弱まる。軍部は撤退という言葉を使うことによって、前線の兵士たちや銃後の国民たちの士気が落ちることを懸念したのである。「我が軍の部隊は全滅した」と言わずに「玉砕した」と言ったのも同じことである。
日本には、古来「言霊」という考え方があり、悪いことを口にすると、それが実際に起こると考える人がいる。我々がしばしば使う「縁起でもないことを言わないでよ」という表現の背景にはこの「言霊信仰」がある。
悪いことが起きて欲しくないと考える気持ちは、よくわかる。しかし、原発事故によって多数の国民の健康と安全が危険にさらされている時に、このような言い換えにどの程度の意味があったのだろうか。
以上、「ドイツ人が見たフクシマ / 熊谷 徹 (保険毎日新聞社・刊)」p19~p20より抜粋。
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