ジェンダー論の試金石

・・・となるアニメがあります。

世界名作劇場の「赤毛のアン」です。

このアニメは、宮崎駿さんと高畑勲さんが一緒に作った作品のように思われていますが、実は、宮崎駿が途中で「アンは嫌いだ」と言って現場から抜けてしまったのです。

この話だけでも結構興味深いものがありませんか?実を言うと、私は高畑勲さんは大好きなのですが、宮崎駿は今となってはちょっと?なのです。

宮崎駿と高畑勲の名前を聞いて、二人の違いをよく考えずに観ている方も多いと思いますが、決定的な違いがあり、それはどこかと言いますと、「女性に対しての捉え方」にあると私は思っています。それを明確に表しているのがさきほどの宮崎駿の「アンは嫌いだ」の一言なのです。

私からしてみたら、アンはリアルな女の子そのもの。アンが嫌いということは、現実の女の子というものを否定している部分が絶対あると思うのです。

なので、宮崎駿の描く女の子って、よく見ると結構ご都合主義というか、男性から見た理想的な女の子って感じな子もいたりして・・・特に、「未来少年コナン」の女の子ラナとか、自分が子供の頃に観た印象と、大人になってから観た印象がちょっと違うのです。「あれ、ちょっとやな子じゃない?」なんて感じる場面もあったりして。

この何故宮崎駿が「アンは嫌いだ」と言ったかというその理由を突き詰めて論じてもらうというのは、結構面白い部分だと思うのですが、その辺りについて語られている文章を見つけることがいまだ出来ていません。宮崎駿と高畑勲の両作品を観て、作品からそれを判断せよという芸術家意識が強いのか、口では説明しないのかもしれませんね。

孤児院から初老のマシュウとマリラ(兄と妹)のところへ、男の子が家に行くはずだったところ手違いで女の子が行くことになってしまうというところから始まるこの「赤毛のアン」。

この最初の1話、2話あたりを観て、「面白い」と思うか、それとも「こんな女の子には付き合っていられないわ」と思うかどうかで、その人のジェンダー論的な部分をはかることが出来る、言わば試金石のようなものだと思っています。

〖 赤毛のアン 1話 〗

https://www.youtube.com/watch?v=DBQgH2o8YKI

〖 赤毛のアン 2話 〗

https://www.youtube.com/watch?v=Rxv5YNjV6wA