なかったことにはならない
私には、重度の知的障害を持つ長男がいて、裁判所で無理やり離婚をされた母親の立場にあります。
相手は、親権を主張したんですけれどね。
相手はそれを持って、自分の離婚への正当性にしている部分が多分にあります。
自分は単に放り投げたわけではない、親権を主張し、裁判所が自分に決めなかっただけだ。
だから自分は悪くない、という理屈です。
私が一番腹立たしかったのは、裁判所が決めるということは、どちらに転ぶかわからなかったわけですよね?
2択だったわけです。
自分が親権者になるか、そうでなければ子供と一緒に暮らすことが出来なくなるか。
この2つだったわけです。
腹立たしかったのは、後者のほうも同時に選択をしたということなんです。
だって、本当に子供達と暮らすことが出来なくなるのがイヤだったら、離婚という選択をしないはずなんですよね。
私が元ダンナについて語るということ、仲の良い友人でさえ「まだそんなこと言ってるの?」なんて言う人もいるけれど、時間が経てばなかったことにはならないんです。
そして、勘違いしてもらっては困るのが、「まだ相手に感情が残っているからこだわるのでは?」なんていう考え。
(もしかしたら、元ダンナが一番そう思っている可能性はある。無責任で自意識過剰な人だったら、そういう思考回路であっても不思議ではない)
私がこだわっているのは、相手が考える「自分自身の責任について」の部分なのです。
これは、戦争責任について考える当事者と全く同じ部分なのです。
「まだそんな話にこだわってるの?」なんてひどいこと言わないでね。
こだわるも何も、「実害」が生じているんですよ。
相手は、そういう状態を選択したのは私の意志だろうなんて言うんですよ?
今、私が抱えている苦労は、自分が選んだものなのだ、と。
今の状況がいやならば、親権を渡せば良かっただけじゃないかというのです。
ネトウヨみたいな人ですよね。
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