列車と橋が出てくるお話
・・・で、一番はじめにピンと来るのが、山本有三の「路傍の石」です。
スティーブン・キングの「スタンド・バイ・ミー」もそういうシーンがありますが、スタンド・バイ・ミーを見た時に、もしかしてスティーブン・キングって路傍の石を読んだことあるのかな?と思ったくらい、ちょっと状況が似ているんです。
山本有三が栃木県出身だったこともあり、小学校の高学年の頃に「路傍の石」は読んでいたのですが、記憶に残っていたのは、度胸試しのために鉄橋にぶら下がるというシーン。
主人公の吾一が、友達の京造に自分の度胸を見せるために鉄橋にぶら下がるところを見せると言って実行しようとするのですが、鉄橋の枕木にぶら下がっているところに機関車がやってきて、吾一は気を失ってしまいます。
機関車は急停車をして、目が覚めた吾一に大人達がそこまでの経緯を訊ねるのですが、「君がやれと言ったのかね?」と京造が問われると、吾一が「ぼくが自分でやると言ったんです!」と言って、二人でワンワン泣いてしまうという・・・
すがすがしいですね。
その後、学校の次野先生にお説教をされるのですが、そこの描写が素晴らしいのです。
吾一はそんなことをするからには、よくよくのことがあったのだろう。お前は中学に行きたいと言っていたがそれが思うようにいかなかったから、” やけ " になっていたのじゃないかい?と。先生のほうでそうきめてしまうと、「いいえ、それほどでもなかったんです」とは吾一はこたえにくく、「ええ」と簡単に返事をします。⇐(結構、面白い(笑))
そして、先生は吾一に「自分の名前がどういう意味を持っているか考えたことがあるか?」と訊ねます。お前のおとっつぁんが庄吾で、その一番目の子どもだから「一」という名前をつけたのだろうが、しかし、先生の考えではそれだけとは思えないんだ、と。
「吾一というのはね、われはひとりなり、われはこの世にひとりしかいない、という意味だ。世界に、なん億の人間がいるかもしれないが、おまえというものは、いいかい、愛川。
愛川吾一というものは、世界じゅうに、たったひとりしかいないんだ。どれだけ人間があつまっても、おなじ顔のひとは、ひとりもいないとおなじように、愛川吾一というものは、この広い世界に、たったひとりしかいないのだ。
そのたったひとりしかいないものが、汽車のやってくる鉄橋にぶらさがるなんて、そんなむちゃなことをするってないじゃないか。」
「・・・・・・・」
「さいわいに、汽車のほうでとまってくれたから、よかったものの、もし、あのまま進行したら、おまえはどうなっていたとおもう。愛川吾一ってものは、もうこの世には いなくなっていたのだぜ。」
「・・・・・・・・」
「死んじまって、中学校に行けるかい。おまえは中学校へ行って、りっぱな人になりたいと思っているのだろう。それだのに、あんなバカなまねをやってどうするのだ。よく世間では、このつぎ生まれかわってきたときには、なんていうけれども、人間は一ど死んでしまったらそれっきりだ。愛川吾一ってものがひとりしかいないように、一生ってものも、一どしかないのだぜ」
「・・・・・・・・」
「おまえはまだ子どもだから、しかたがないといえばしかたがないが、鉄橋にぶらさがるなんてことは、べつにいさましいことでも、だいたんなことでもないんだよ。そんなものは、匹夫の勇というものだ。------死ぬことはなあ、愛川。おじいさんかおばあさんにまかせておけばいいのだ。人生は死ぬことじゃない。生きることだ。これからのものは、なによりも生きなくてはいけない。自分自身を生かさなくてはいけない。
たったひとりしかない自分を、たった一どしかない人生を、ほんとうにかがやかしださなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」
「・・・・・・・・」
「わかったか、愛川。先生はおまえに見どころがあると思えばこそ、こんなに言っているのだ。おまえは自分の名にかけて、ぜひとも自分を生かさなくてはならない。おまえってものは、世界じゅうにひとりしかいないんだからな。--------いいか、このことばを忘れるんじゃないぞ。」
今、先生と呼ばれる職業の人達にもぜひ読んでほしい本です。
私が一番心に残っていたのはこの鉄橋のシーンで、よく名言と言われる「生まれてきたかいが・・・」の部分もこのシーンに関わるので、やはりこの本のハイライトではあるのですが、何十年かぶりに読み返してみたところ、素晴らしいのは後半に至るまでの部分で、吾一が学びたいという気持ちを、多くの大人達の関わりで叶えていこうとするところなのです。
一人の子どもを学ばせてあげたいという一心で、何人もの大人達が真剣に取り組んでいる様子が描かれているのです。今、こどもを学校に行かせるのって、その子の親だけの責任となっていますよね?この本では、親じゃない人達によってそれを達成しようとしているのです。
この本は、こども向けを想定して書かれた本ではなかったとのことです。
大人の在り方というものを世に啓蒙・啓発したかったのだと思います。
本の解説によると、この「路傍の石」は未完で、その後「新編 路傍の石」を「主婦之友」に連載し始めるのですが、1940年(昭和15年)に「新編~」と書くことを断念します。
その理由を「ペンを折る」と題して「主婦之友8月号」に掲載したとのことです。
(歴史的に翌年1941年、太平洋戦争が始まります)
新潮文庫やその他の出版社でも出ていますが、図書館などでこの「旺文社ジュニア図書館」の本を読んでほしです。
解説陣が素晴らしく、羽仁五郎氏のワイフだった羽仁説子さんも寄稿しています。
自分が持っていた本で、もう関わっていたとは・・・
小学校の頃に、良書に触れるということの重要性をまた今日も再確認したのでした。
路傍の石 / 山本有三 (旺文社ジュニア図書館)
映画「スタンド・バイ・ミー」のシーン
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