東京大空襲の記憶

3月10日は、東京大空襲のあった日でした。

私の家の隣の隣の家に住むMさんは、今85歳でもうすぐ86歳になる女性なのですが、この東京大空襲を経験しています。

Mさんは絵が上手で、東京大空襲の時の絵も描いていて、それがすみだ郷土文化資料館の東京大空襲の時の絵を集めた本に掲載されました。

そして、数ある作品の中から、東京大学の教授がMさんの作品を取り上げて、雑誌の芸術新潮に載せてくれたそうです。

Mさんは、「私なんかよりうまい人いくらでもいたのに、何故か私の絵が選ばれたのよ」とおっしゃっていたのですが、Mさんの絵を見て、どうしてその絵が選ばれたのかわかった気がしました。

Mさんは、謙遜はしていますが、普通にうまく描こうと思えば描けるのですが、Mさんの描いたその絵は、まるで子どもが描いたようなタッチだったのです。

見た瞬間に「あれ?子どもが描いたような絵だな」と思ったのです。

おそらく、芸術新潮の選者の先生も、この人は70代(当時)なのに、子どもが描いたような絵を描いているな・・・と、印象に残ったに違いありません。

きっと、当時の記憶がMさんを出来事のあった13歳まで引き戻してしまったのかもしれません。

きのう3月10日に、Mさんのところへ行って「あの本をもう一度見たいので貸していただけますか?」と言ってお借りしてきました。

Mさんも寄稿したという、新宿区で作った戦争体験記の文集もお借りしました。

コピーをとって、読んで、次の世代にも語り継ぐことが出来るようにしたいと思います。









あの日を忘れない 描かれた東京大空襲  /  すみだ郷土文化資料館(柏書房)





Mさんの描いた絵「流れる死体を見ながら学校へ」

私は当時、月島第三国民学校へ通学していた。学校は月島と晴美を結ぶ朝潮橋を渡った先にあった。私は、本所・深川方面から毎日死体が流れてくるのを、通学途上に見た。死体は、日がたつにつれ、黄色っぽく水膨れになり、これが本当に人間なのかと思ったのを憶えている。死体を見ないように下を向いて歩いていても、木の橋のところどころに穴があいていたため、そこから嫌でも見えてしまい、私には目のやり場がなかった。

このような状態が、何日続いたかは憶えていないが、今でも頭に焼き付いて忘れることができない。




芸術新潮2004年5月号に掲載されたMさんの描いた絵






私の戦争体験記 /   新宿区




  

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