ダムはムダ?

結論から言うと、「これから造るダムはムダ」だと思います。

以前、私が働いていた建設コンサルタントの社会貢献事業として、既存のダムの水力発電事業を、県の負担をなくすためにその会社が運営を買い上げるということをしており、各地から集まる電力の数値を私が入力をしていました。

ですので、水力発電がどれだけ少ない電力かということは、数値を見れば一目瞭然なのは、よく知っているのです。

原発がダメならば、ダムを造っていくことはいいことなのじゃないかな?と安直に考えてはいけないと思います。

本当に必要性があるのかどうかは疑問があります。

ダムに限ったことではありませんが、日本のインフラに関わる事業の基本的な姿勢というのは、1970年代の高度成長期の計画からずっと変わっていないのです。

基本的な姿勢は、何かを国が造れば豊かになるというような発想。しかし、それは本当に「国が」豊かになることなのでしょうか。

日本が福祉国家に転換出来なかったわけというのが、この高度成長期の政策にあったという論があり、私はこの考えに同意します。


~「財政のしくみがわかる本 /  岩波ジュニア新書」の著者で財政学者の神野直彦さんによれば、同時期に高度経済成長を経験しながら、福祉国家へと転換した国と日本では、課税に違いがあったと言います。「福祉国家」へと変換した国では、高度経済成長を遂げている間に企業にしっかり課税をして税収を増やし、教育や医療への体制を整え、少子高齢化に至る準備をしていました。

日本は、その間もっと経済を成長させるために企業への税金を減らす一方、さらに借金で財政出動(バラマキ)をして、公共投資に邁進(まいしん)し、経済を土建業で潤す政治・経済の体制「土建国家」ができてしまったのです。少子高齢化社会への準備が整う前に、経済が勢いを失い、税収も上がらなくなり、莫大な借金が残りました。

それにしても、なぜ日本は「土建国家」の道から抜け出すことができなかったのでしょうか。

実は、私が社会問題に関心を持った最初のきっかけは、国が必要の不明確な、古いダム計画を推進しているという問題に遭遇したことでした。調べると「農業用水が足りない」と言いながら、どれだけの水を使っているのかさえ把握されていないおかしな計画でした。

突き詰めていくと、それは経済財政諮問会議の前身である経済企画庁が高度成長期に定めた「全国総合開発計画」で謳った「国土の均衡ある発展」を目指して作った高速道路やダム、港湾、空港、下水道などの建設計画の氷山の一角でした。そこに計画があることが建設理由だったのです。~  (以上、「投票に行きたくなる国会の話  /  政野淳子(まさのあつこ)・ちくまプリマー新書 120p~122pの抜粋)


もう、その当時の計画を続行していくことは困難だと思います。






寺山ダム(栃木県矢板市) 2013年5月 ワタシ撮影




「まむし」に注意! 





放射性廃棄物の処分場には当然反対。




ダムに行くとダムカードがゲットできます ♪ ( 画像は塩原ダム)