尼崎市と伊丹市について
恥ずかしい話なのですが、つい最近までワタシ、「尼崎市と伊丹市は大阪にある」と思っていたんです!(実は兵庫県です!)
宮本輝(てる)の初期の頃の作品が好きで、錦繍までは読んでいるのですが、輝の作品の舞台に尼崎や伊丹がよく出てきます。
どうも “ 川三部作 " (泥の河・蛍川・道頓堀川)のうちの " 道頓堀川 " のイメージで大阪の人というイメージが出来上がったらしく、尼崎も伊丹も、大阪の話なんだーと思って読んでいたんですね。
だって、やはり文学ですから、いちいち文章の中に「兵庫県伊丹市…」なんていうふうには出てこないわけですよ。「〇〇県のどこどこ」なんて言わないわけです。
宮本輝の作品は、短編が特に素晴らしいです。
短くても伝えたいこと伝えるって、すごい技術ですよね。
今回は、「五千回の生死」という九つの短編を収めた本の中の、一番最初のお話「トマトの話」(30ページという短さ)を少し紹介します。
主人公が道路工事のアルバイトをしていて、そこで出会った男が死が間近だったのですけれど、男がずっと「トマトが食べたい」と言っていたんですね。で、鹿児島県の川村セツ様と宛名が書かれた手紙を主人公にポストに入れてくれるよう頼んだのですが、男は布団の上で血を吐いて死んでしまったのです。主人公はポストに入れてくれるよう頼まれた手紙を、昼間の工事の作業中になくしてしまったらしく、作業をしていた交差点まで行って、張ったアスファルトの下に手紙があるはずだから、アスファルトをはがしてほしいというわけです。
以下、最終ページの抜粋です。
~大学を卒業してこの広告代理店に勤めるようになってからも、ぼくはどうかした瞬間、男がトマトを両手に握りしめて涙ぐんでいた姿を思い出してしまう。
スポンサーと打ち合わせをしているとき、それは突然ぼくの心に膨れあがる。終電車の座席に腰かけて、酔った頭で窓ガラスに映る自分の顔を眺めていると、血の海に転がっていた腐った五つのトマトが、猛烈な勢いで目の前を通り過ぎる。すると決まって、鹿児島県、川村セツ様という文字が体の奥深くから亡霊のように、浮きあがってくるのだ。
そんなとき、ぼくはまるでそれが自分の病気みたいに、あの男にとって、トマトはいったい何であったのか、手紙にはあの男にとってどんな大切なことが書かれてあったのかと考え込んでしまう。
あの手紙は必ず、伊丹の昆陽(こや)の、大きな交差点のアスファルトの下に、いまも埋まっていると、ぼくは確信している。
トマトを見ると、あのときのことを思い出して哀しくなるというのではない。血のかたまりみたいだった腐った五つのトマトの映像が、ぼくを気味悪くさせるというわけでもない。
けれども、ぼくはあれ以来、ただのひときれも、トマトを食べたことがない。~
宮本輝の作品の舞台を写真で紹介しているブログを見つけましたので、ファンは必見です!
このお話の交差点も出ています。
http://sky.geocities.jp/chin_you1960/files/hyogo.html
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