女性にとってのお化粧
前回に続いて、宮本輝の短編「五千回の生死」に収録の「眉墨(まゆずみ)」に関するお話を。
主人公である70過ぎのお母さんが、胃の調子が悪くて病院を受診するのですが、どうやらそれはガンのせいだったのです。
でも、お医者さんはお母さんには「胃潰瘍です」と告げるのですが、お母さんがお医者さんに「ガンなのですか?」と訊いた時にお医者さんが一瞬言葉に詰まったので、お母さんは自分はガンなのだと薄々思うわけなんです。
お母さんが家族と一緒に軽井沢に旅行に出かけた時に、お母さんは突然あっと声をあげて
「眉墨を忘れてきてしもた」
「眉墨・・・?」
「どないしよう。あれがないと困るねん」
「今晩ひと晩くらい塗らんでも、かめへんやないか」
私がそう言うと、母は哀願するように両手を合わせ、
「駅の近くに化粧品屋はないやろか。いまから買いに行くから、車に乗せてェな」
しぶっている私に、母は何度も頼み込んだ。
・・・というように、毎日せっせと、夜寝る前に眉墨を塗っていたんです。
お母さんが眉墨を塗り始めたのは1,2年前くらいからだったそうなのですが、真っ白くなった髪の毛は黒く染めていましたが、眉までは染められないということで、昼間は白い眉毛のままで放っておくのですが、夜になると布団の上に正座して念入りに眉墨を塗るのだそうです。息子や息子の奥さんがその理由を訊いても、お母さんはただ照れくさそうに笑うだけなのだそうです。
結局、周囲の人達もお母さんがガンだということはわかっているし、お母さん自身もそうなんだろうなとは思っているのですが、夜になるとお母さんは丹念に眉墨を塗る・・・というお話なんですが、このお話の私の解釈としては、もし就寝中に死ぬようなことがあれば、その時に眉だけ白いのはイヤだと思って、寝る前に眉を黒くして寝ているということが一つ。
もう一つは、眉を描くことにより、明日への活力としているということ。
黒い眉で、夜を乗り切り、明日の朝も目覚めるぞと。
つまり眉を描くということは、いつ死んでもいいように…と死を受け入れる気持ちと、死ぬもんか・明日も生きるぞという気持ち、この2つの相反する気持ちが同居した行為だと思うんですね。
だから、一日一日を夜眉墨を描くことによって乗り切っているわけなので、一日くらい塗らないでもいいだろうは出来ないのです。
これをわずか26ページで表現しているのは、宮本輝ってすごい作家だと思うんです。
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