「知る」ということ
息子の10歳の誕生日のプレゼントに、日野原重明先生の「十歳のきみへ」をいただきましたので、読んでみました。
ここに抜粋します。
「知る」という行為は想像力や思いやる力を同時にはたらかせながら行うものです。
けれど、いまわたしたちがしている「知る」のなかにはぬくもりがありません。ただ情報として処理しているだけです。
そうなると、どんなにたくさんのニュースをテレビや新聞で見聞きしても、見知らぬ人の話はどこまでも他人事(ひとごと)でしかありません。
「ほかの人の痛みは、その人の痛みであって、わたしにはまるで関係がない」と思うことになれてしまえば、たとえば戦争も「ここ」にないかぎり、自分が解決に乗り出すべき問題として自覚されることさえなくなってしまいます。
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