「個別の問題」について考える
前回の「こどもの貧困」と共通する話になりますが、こどもの貧困を「個別の問題」として捉えるふしがあります。「個別」言い換えれば「各自の」。(英語で言えば「individual」ですね。)
生活クラブの学習会の中で、「「福祉や労働問題を学ぶうち、困難な状況におかれる子どもたちの問題は、この子のせいでも、この子の親のせいでもない、社会のしわよせがこの子たちにきているのではないか」と思うようになった」と講師のかたがおっしゃっていたという言葉を見つけて、本当にその通りだと思いました。
私は、ひとり親で重度知的障害を持つ子がいて、仕事は派遣をやっています。
(社会問題のオンパレード状態(笑))
私の姉は経営コンサルタントをしており、厚生労働省がサーベイを作る際に、民間の識者として呼ばれるくらいHR(Human Resource:人的資源、人事のこと)の領域には詳しい人なのですが、その姉と話をしていると、都合が悪くなってくると姉はいつも「個別の問題だ」と言って話を打ち切ります。
要するに、私が訴えていることは、私自身の問題であるというのです。
ようし、これが私自身の問題であるというならば、私も個別に対応してもらおうではないか。ということで、昨年、私は今勤めている職場に「時給を上げてほしい」というお願いをしてみました。
結果は、なんと、20円ですが時給が上がったのです。(1500円→1520円へ)
今思うと、私もようやるなーと思いますが、その時はいきり立っていたのでしょうね。
今の職場に不満があるわけではありませんが、どうしても姉の言う「個別の問題」というものに立ち向かってみたかったのです。
これにはもちろんリスクも伴ったことなのです。そんな面倒なことを言う人ならば、別の人を雇いますという結果になってもおかしくないのですから。
姉にもそう言われましたし、派遣元の担当者にも「希望をお伝えすることは可能ですが、結果はどうかわかりません」と言われました。
私の闘いに付き合ってくれた今の職場の方々に、そこでの派遣業務が終了になる際には、何故私が時給の交渉に立ち向かったかをお伝えし、感謝の意を述べて去りたいと思います。
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