鶴見俊輔botからの言葉
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 1月18日
究極的にいい文章というのは、重大な問題を抱えてあがいているというのか、そのあがきをよく伝えているのが、いい文章なのではないかと思います。きれいに割り切れているというものは、かならずしもいい文章ではないのです。『文章心得帖』
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年10月12日
自分の文章は、自分の思いつきを可能にする。それは自分の文章でなくても、人の書いた文章でも、それを読んでいると思いつき、はずみがついてくるというのはいい文章でしょう。自分の思いつきのもとになる、それが文章の役割だと思います。『文章心得帖』
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2月4日
本を一冊つくるということは、ひとりの読者へのたよりだと思います。最初の本を出したとき、いまから三十七年前にはそう思ってはいませんでした。いまは、そう思います。ひとりの読者に出あうということが、書くことの目的です。その読者が自分自身であるとしても、それでもむくいられます。
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 1月16日
こどもには、自分以外に新しい父親が必要だ。世界にはたくさんの人がいるのだから、その中から、彼(私の息子)は自分の師父をえらんでほしい。その父親さがしの過程を親として好意的に見守るようでありたい。自分の仕事の流儀をこどもにおしつけることはしたくない。「こどもについて」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 1月16日
指一本でも持ち上げるようなことをしたいと思って、私は戦争の最後の月日を暮らした。何もしなかったのだが、何もしなかったという記憶だけは、手ばなさずに今日まで残っている。羽仁五郎の著作の自分に対する影響は、自分が何もしなかった記憶を保ったということにつきるといえる。「二つの日付け」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 1月14日
他人の世界に同情するということは、相当の閑人でなくては出来ないことだと思うし、また相当孤独の習慣をもたなくては出来ないことだと思う。この点、概して哲学者は、人に同情するための資格を備えているといえる。「哲学の反省」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 1月14日
戦争中は、本の広告を愛読した時代だ。岩波文庫の広告ばかりののったパンフレットを大切にして、本の題名と内容紹介をくりかえし読んでは、空想のごちそうをたのしんだ。岩波文庫はほしくても、もう手に入れるのが、むずかしかった。「私の愛読した広告」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 1月13日
そだてるということは、そだてられるということと、きりはなせない。
そだてるものみずからがそだてられるということがなければ、そだてるということは、なりたたないのではないか。「世代から世代へ」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 1月12日
また別の日、朝、全校生徒がならんでいる前で、校長は、「みなさん、元気よく遊んでいるのは、とてもうれしいけれども、戦争の遊びが多すぎると思います」と言った。(略)長い戦争にさしかかる時に、こんなことを言った先生がいたということを、戦争中、私は何度も思い出した。「教科書と先生たち」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年11月28日
子どものときから好みを育てることが重要だと思います。強い好みをもてば、好みは必ず別のものに転化する。だから子どものなかで「もし」という考え方を育てるためには、自由な想像力を育て、自分の好みをしっかりもつ。これ以外は捨ててもいいという場をつくることではないでしょうか。
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年11月8日
女の仕事には終わりがないと言われますが、それは女の仕事が生命の世話であるからで、男の仕事がひとくぎり、ひとくぎりにできるのは、それだけ生命からはなれているからではないでしょうか。「ことばを求めて」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年11月6日
われわれは、われわれが敬意をもって対するような政治的無関心が、今の日本にあることを、いつもおぼえていたい。われわれの目ざすものと、こういう人々の目ざすものとが、未来のいつかの点において交流する日の来ることを望みたい。「さまざまの無関心」1966年
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年11月4日
こどものころに読んだ本は、今はもう遠くはなれているが、その手ざわり、重さ、ページの余白のとりかたなど、よくおぼえているのもある。戦争中に、本が少なくなったころ、軍隊の酒保で出会った本など、その本のたたずまいとともにおぼえている。「本と装幀」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年10月30日
パッパパッパ早くやっていくというのはあまりいいことじゃない。老人がデモに入っているというふうなことは、結局厚みをつくっていくことであり、同時に何かデモの強さというふうなものを増していく源泉であるような気がするんです。「リンチの思想」1972年
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河村書店 @consaba · 2015年10月26日
恵文社一乗寺店・能邨陽子さんに聞く さよなら、鶴見俊輔さん 限界芸術論 (ちくま学芸文庫)、わたしが外人だったころ(福音館書店)、セミナーシリーズ 鶴見俊輔と囲んで(SURE)
朝日新聞 http://book.asahi.com/reviews/column/2015102300001.html …
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年10月26日
私はあんまり右翼左翼にこだわらない。それよりも、自分の"好み"を持ってるか、自分の中に"重心"を持ってるかどうか、そこから人を見ます。"友だち"についてもそういう人とつきあいたいと思っています。「好みの問題」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年10月24日
重症の結核で病院で寝ながら、それまでの人生をふりかえってみて、長井勝一は、もし生きのこったら、これからの人生を白土三平にかけたいと思った。そのための会社をつくり、マンガ専門誌をつくった。それが『ガロ』である。『回想の人びと』
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年10月18日
日常の言葉を使って書いたり話したりすることのできなくなった人は、はっきり考える力そのものを失う。というのは、私たちにとって、(定義なし、例証なしで)はっきりした意味をつくる言葉は、小さいときから毎日使いなれてきたものにかぎられているからだ。「日本の思想用語」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年10月18日
文化はその社会のコミュニケーションの様式であり、その社会にあたわれる芸術創作を条件づける。芸術の創作は、それをとりまく文化の影響をうけながら、その文化に対する批評の行為であり、芸術の中核には批評の機能がある。この意味で、芸術は、哲学のはたらきと相通じる。「デューイ」
鶴見俊輔bot @shunsuke_bot · 2015年10月17日
国家は自分にとっていつも国家であるとかぎらないし、家庭は自分にとっていつも家庭であるとかぎらない。自分の子は自分の子であるとかぎらないし、ある時は子が親であるかもしれない。男は女であるかもしれないし、女は男であるかもしれない。「退行計画」
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