LGBTとジェンダーの関係
仕事で、各政党のHPをチェックしているのですが、2016年4月27日の自民党のニュースで、「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」というのがありました。
pdfが二つ貼られていて、一つは「わが党の基本的な考え方・政府への要望」もう一つが「議論のとりまとめ」なのですが、二つめの「議論のとりまとめ」のほうに、聞き捨てならない文言があったのです。
「性的思考・性自認の多様性を認めることは、性差そのものを否定するいわゆるジェンダー・フリー論とは全く異なる」とのことです。
これって、ちょっと考えればおかしいと思うんです。
だって、段階的に考えてみましょう。
ある男性の人が、自分は女性だと小さい頃から思っていて、自他共に認める日が来たとします。
その人が、女性として生活をしていくうちに、やっぱり社会的なジェンダー(男性ならこうだろう、女性ならこうだろうという役割分担のような考え方)に突き当たると思うんです。
ですので、イコールではないけれど必ず中に食い込んでくる問題なんです。
本当に別問題だと思っているならばそもそもそんな場でムキになって言う事ではないと思うんです。そして、本当に彼らを認めようとするならば、必ずジェンダーの問題も含まれてくる事がわかると思うんです。なので、結論として「結局は認めたくないんじゃないか」という弁証法になるわけです。
私、別れ(られ)た元ダンナが、性差を気にする人だったようで、この問題にはうるさいんです(笑)
そういえば、私の前の妻の時にも「男と暮らしているように感じたから別れた」と言っていました。
私も離婚のゴタゴタの時に似たような事言われました。
「僕は、かっちゃんからバレンタインのチョコレートもらったことないんだよ」って。
バレンタイン・デーも、よく考えてみたら、女性から先にっていうのが気に入らないです。
男性が2月に設定されていれば、先にもらっているから3月には「あー、そういえば」って思い出すじゃないですか。
PTAの図書の集まりでランチ会した時に、この話をしてよその家の事聞いたんです。ダンナに毎年チョコレートあげてますか?って。
そしたら「義理チョコのついでに」とか「思い出した時に」ってみんな言ってたよ!
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