スイミー
教科書にも載っていたので、知らない人はいないというくらい、有名な本ですよね。
昨夜防衛省の前で、沖縄の人達の訴えを一緒に聞いていた時に、ふと思ったのです。
「私は、スイミーに出てくるさかなと同じだ」って。
スイミーの本の内容について説明してくださいと言われたら、「黒いさかなが目になって、小さなさかなたちとまとまって大きくなり、でかいさかなをやっつける」といったような概要になると思います。
それは決して間違いではないのですが、児童書の出版社の福音館書店の編集長を務めていた松居直(ただし)氏の著書「絵本のよろこび / NHK出版」によると、その結果的な部分だけにスイミーの価値を置くのではなく、その結果に至るまでの過程に目を向けてくださいとのことなのです。
学校の教科書で初めて読んでからも、私は今までスイミーは何度か読み返してきました。
松居さんの言う通り、読み落としている部分があるのかも・・・と思い、今日、会社帰りに書店に行って、スイミーを買ってきました。
するとなるほど・・・
スイミーは、仲間をなくして、ひとりで怖くさびしく海の中を泳ぎます。
そして、周りの景色を見てみると・・・
「にじいろの ゼリーのような くらげ・・・」
「すいちゅうブルドーザーみたいな いせえび・・・」
「みたこともない さかなたち。みえない いとで ひっぱられている・・・」
「ドロップみたいな いわから はえてる、こんぶや わかめの はやし・・・」
「うなぎ。かおを みる ころには、しっぽをわすれてるほど ながい・・・」
「そして、かぜに ゆれる ももいろの やしのきみたいな いそぎんちゃく・・・」
スイミーはいわかげに隠れている仲間達を見つけて、こう誘います。
「出て来いよ、みんなであそぼう!おもしろいものがいっぱいだよ!」
でも他の魚たちは「だめだよ。大きな魚に食べられてしまうよ」と。
でもスイミーはこう言います。
「だけど、いつまでもそこでじっとしているわけにはいかないよ。なんとか、考えなくちゃ」と。
そうしてスイミーは、自分が目になって、仲間達と団結して、大きな魚を追い払ったという結末に至るのです。
海の中のくらげやいそぎんちゃくなどの描写は、意思をなくして漂っている者達のことなのです。
確かに、最初に読んだ時に、海の中の美しさや面白さを表現しているには、ちょっとなんだか変だなとは、小学生ながらに感じました。でもそれは、外国の人が作ったお話だから、ちょっと表現の仕方が違うのかな?くらいに感じていました。
今まで知らなかったのですが、作者のレオ・レオニはこの本を、政治的な意図を持って書いたと言っていたそうです。
ひとりぼっちになったスイミーが、見えるものをしっかりと見て、考えて、実行に移すということを絵本の形でレオ・レオニさんは表現したのです。
松居さんの着眼点にはうなるものがありましたが、私がこのお話を最初に読んだ時の感想も書いておきますね。
「スイミーはおよいだ くらいうみのそこを」という行りがあるのですが、そこを読んだ時に私は「この言い方、かっこいい!」と思ったのです。
のちにそういう表現の仕方を「倒置法」と呼ぶということを知るのですが、小学2年生で「かっこいいな」と感じた私もなかなかセンスあるでしょう?(笑)
その後、翻訳したのが谷川俊太郎と知り、その倒置法の言い方は谷川さん訳によるものなのかどうかが知りたくて、洋書で本を購入して調べてみたところ、原文も倒置法でした。
(「He swimed, in the dark なんとか~」だったと思う)
スイミー / レオ・レオニ (好学社)
みたこともない さかなたち、 みえない いとで ひっぱられている・・・
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