イソップ寓話の新説
・・・を主流にしたいと思う。
もともとイソップ寓話は、口承に口承を重ねて伝わってきたものなので、作者の真意が意図したものと異なって解釈されている可能性が大きいものです。
「オオカミが来たの少年」ですが、一般的にこの話は、嘘をついてはいけませんよという事を子供達に諭すお話のように現在では広く流布されていますが、これは本当にそういう話なのでしょうか。
まず第一に、イソップ寓話はそもそも子どものためのお話だったのか?という疑問があります。
本当に優れたものは、私が「注文の多い料理店」で指摘したように、どちらかといえば大人向けな内容を、子どもにも解り易くするためにおとぎ話の形態を借りていることが多いものだと思います。
イギリスのミュージシャンThe Style council の「boy who cried wolf」ですが、歌詞の中で「could make you turn my lost concern」と言っているのですよね。
自分のconcern(=関心事、心配事)にあなた(方)を向かせる、と。
そう考えると、少年は嘘をついて楽しんでいたというより、本気で警告をしていたのに皆が取り合わなかったという見方も出来ると思うんです。
嘘をつく少年の話という解釈は、日本でだけで、もしかしたら海外では違った解釈がされているのかも?と思い、昨夜洋書のペーパーバックをアマゾンで検索してみたのですが、「うそをついてはいけませんというお話」というタイトルが英語で書かれた洋書を確認出来たので、どうやら日本だけでそう解釈されているというわけでもない様子でした。
今、岩波文庫から出ている「イソップ寓話集」を急いで取り寄せている最中なのですが、その表紙にはこう書かれています。
~子ども向けの人生訓話として世界中の人々になじみ深いイソップの動物寓話―実は、歴史上の人物としてのイソップ(アイソーポス)が作ったと実証できる話はひとつもない、いわば「イソップ風」寓話集であるが、そこには、読み手の立場によってさまざまな解釈が可能な、実に奥深い世界が展開されている。新訳471篇を収録。~
もう、これだけで買った価値が半分はあると思う。(さすがは岩波書店だ!)
解釈はあなた次第ということ。
「日本ではオオカミが来たの少年のお話は、嘘をつく少年の代名詞とされているが、少年は心配事を一生懸命に伝えていたのにそれに皆がまともに取り合わなかったとするWeller説(The Style Council)、または少年には本当にオオカミが見えていたとする羽仁五郎説などの諸説があり、一部では強く支持されている」・・・と、日本のウィキペディアも加筆が必要かも・・・
イソップ寓話集 / 岩波文庫(赤)
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