2分の1成人式は強制だ
ここ最近の流れのようなのですが、小学校の行事として、10歳になった時の学年(小学4年生)に、成人の半分まで成長した記念として「2分の1成人式」というものが実施されています。
うちも昨年、二男が小学4年生だったので、わけもわからず行ってきました。
生まれた時からの写真をスライドで映し、その映像を背景に子どもが自分の親に対して感謝の作文を読み上げるという構図です。
感極まって、作文を読んでいる最中に泣き出してしまう子もいたりして、私ももらい泣きしたりもしたのですが。でも、私はこの2分の1成人式をやる前から乗り気ではありませんでした。
まず第一に、「子どもが親に感謝をする」という点が気に入りませんでした。
私自身、子どもに感謝されたくて子育てをしているわけではないので、そんなことにわざわざ仕事を休んでお給料を減らしてまでして引っ張り出されなくてもいいのです。
そして、私は息子が私に感謝をする必要はないと思っています。
それは息子自身が自分で感じることであって、もしかしたらそれは私が死ぬ頃になってのことかもしれませんし、私に感謝などしないまま私は人生を終えるということもあると思います。
はっきり宣言します。「子どもが親に感謝をする必要はない」それをさせようとするならば、それは強制と言わざるを得ない、と。
結果として「そうだったらいいな」という事を、過程を無視して最初っから「そういうものだ」と押し付けるな、と。
大好きな憲法学者の木村草太先生が、私と同じ考えを示して下さっていました。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/22130
憲法を真に理解しようとするならば、少数派の意見というのはとても重要です。
そんなにいやならば、出席しなければいいではないか?というのは解決策ではありません。
自分の親だけが来ていないという状況を作るのは、やはり出来ないでしょう?
先生のお話の中では、申し分ない家庭とそれ以外とのお話ですが、これにももう一つ見方があり、申し分ない家庭にいる子が果たして親に感謝をして生活をしているかどうか?ということもあるのです。環境が整っていれば幸せと必ずしもならない、という現実もあるのです。
こんなことをわざわざ学校主導でやる必要はありません。
親には感謝して当然、という教育であるとするならば、私はその考えに反対します。
親に感謝するかどうかを決めるのは、その子自身です。
日本会議の「親学」が主導しているのかもしれません。
2分の1成人式wiki ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E5%88%86%E3%81%AE1%E6%88%90%E4%BA%BA%E5%BC%8F
※ ちなみに私自身は親が大好きで、とても感謝をしています。
私は自分の親から「自分たちに感謝しなさい」と言われたことが一度もありません。そのためか、私自身も自分の子にそういう事を言いません。
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