「山椒魚戦争」のまえがき
カレル・チャペックの本「山椒魚戦争」のまえがきとして冒頭に「作者の言葉」が載っています。
この本を書く前には、お医者さんが主人公の話を書くつもりでいたとのこと。(岩波少年文庫から出ている「長い長いお医者さんの話」のことか?)
以下、その「作者の言葉」からの抜粋です。
~私が人のいい医者のことを考えているあいだに、世界中の人びとは、経済危機や、国家の膨張や、未来の戦争の話をしているのでした。自分の考えている医者に、私はどうしても、完全に溶け込めませんでした。と言いますのは、私も ーーー どうやら作家は、こんなことまでしなくてもいいようですが ーーー 人間の世界におおいかぶさっている脅威が、気にかかってしようがなかったのです。この気持ちは今も変わりません。
もちろん、人間文明をおびやかしている危険を、完全に払いのけるなんて業(わざ)は、私にはできませんが、少なくとも、こういう現実を毎日のように見、考えないわけにはいかないのです。
こういうことを考えていた時期に ーーー それは、世界が経済的にひどい状況におちいり、政治的にはさらに悪かった去年(一九三五年)の春でした ーーー 私は、何かの機会に、次のような語句を書いたのです。「われわれの生命を出現させた進化が、この惑星上における唯一の進化の可能性だ、と考えるべきではない」と。--- これがそもそもの始まりなのです。この語句のおかげで、けっきょく私は、「山椒魚戦争」を書くことになったのでした。
考えてもごらんなさい ーーー 状況さえよければ、別のタイプの生命、たとえば人間とはちがう動物が、文化的進化の伝達者になれなかった、と私たちは、断言できないではありませんか。これまでのような文明と文化・歴史を持った人間も、哺乳類・霊長類から進化したのです。同じような進化のエネルギーが、ほかの動物に発展の翼を与える可能性がない、とは考えられません。一定の生活条件さえできれば、ミツバチあるいはアリが、文明的能力が私たちに劣らぬ、知性の高いものに進化しない、とは断言できません。このことは、ほかの生きものたちについても、考えられます。水中深いところにおいてさえ、生物学的条件さえよければ、私たちの文明に劣らぬなんらかの文明が、出現するかもしれないのです。
私がまず考えたのは、以上のようなことでした。つぎに私が考えたことは、こうです ーーー
もし人間以外の動物が、文明とわれわれの呼んでいる段階に達したとき、人類と同じような愚行を演ずるだろうか。同じように、戦争をやるだろうか。同じように、歴史で破局を体験するだろうか。トカゲの帝国主義、シロアリのナショナリズム、カモメあるいは、ニシンの経済的膨張を、われわれはどんな目で見るだろうか。もし人間以外の動物が、「知恵があり数も多いおれたちにのみ、世界全体を占拠し、すべての生き物を支配する権利があるのだ」と宣言したら、われわれはどう言うだろうか。
私を否応なしに机の前に坐らせ、「山椒魚戦争」を書かせたのは、つまり、人間の歴史、特にこの現代の歴史との、こういう対決なのです。批評家たちは、この作品をユートピア小説だと言いましたが、私はこの言葉に反対です。私がこの作品で描いたのは、ユートピアではなく、現代なのです。それは未来の事態についての憶測ではなく、現代の世界、今われわれが生きている世界を鏡に映しだしたものなのです。私にとって問題なのは、空想ではありませんでした。そんなものなら、私はいつでも好きなだけ、タダどころか、お添え物をつけてさしあげます。私にとって問題なのは、現実だったのです。私にはどうしようもないことなのですが、現実で実際に起こっていることに気をくばらない文学、言葉と思想にできるかぎりのあらゆる力を振りしぼって、そういうことに反応しない文学 ーーー 私の目ざす文学は、そんなものではないのです。~
山椒魚戦争 / カレル・チャペック(岩波文庫(赤)) 栗栖 継 訳
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