「土人」「シナ人」は差別か

沖縄・高江で、米軍基地の建設に反対する住民に対して、警察の部隊である機動隊が「土人」「シナ人」と発言をしたそうです。

差別用語だとのことですが、結論から言うとやはり差別でしょう。

憲法をはじめ様々なガイドラインから言っても、現在差別用語とされています。企業の広報課などで必携の「記者ハンドブック」にも差別用語として掲載されていますので、報道関係者にとってもそのような認識のはずです。

個人的な見方からすると、「それらの言葉に侮蔑的な意味を持たせて発する限り、それらは差別用語として存在し続ける」と言えるかと思います。

言い換えれば、侮蔑的な意味を持たせなければそれらは差別用語にはならない、という思いが私にはあるのです。

この2つの言葉に関連した絵本があります。

「ちびくろサンボ」と「シナの五人きょうだい」です。

私が土人という言葉を認識したのは、ちびくろサンボとつながっています。ちびくろサンボを初めて読んだのは幼稚園の時でしたが、その後「土人」という言葉を聞いて自分の頭の中に出てくるイメージが、自分が一番最初に認識した黒人である登場人物のサンボだったため、どうしても直結してしまっていたのです。

このちびくろサンボは日本では初めは岩波書店から絵本が出ていたのですが、黒人を蔑視しているとの声により岩波が自主的に出版を控えてしまいました。

これに連動したかどうかはわかりませんが、昭和の夏の贈答品の代表格であったカルピスの包装紙に、黒人の女性がストローをくわえているイラストも姿を消してしまいました。

ちびくろサンボは、トラがトラを追いかけて木の周りをぐるぐる回って、溶けてバターになって、それをサンボのお母さんがホットケーキにして焼いてくれるというお話ですが、私が幼稚園生の頃なんて、バターなんて話には知っていても家にはありませんでしたからね(笑)うらやましいと思いましたよ。お話の中には全く黒人がどうのなんてことは一切出てきません。黒人だからダメということらしいのです。

そう考えると、かこ さとし先生の「サザンちゃんのおともだち」とか、他にも黒人の子を描いた作品ってたくさんありますけれどね。 https://sisidothecat.amebaownd.com/posts/603688?categoryIds=41857

私が思っていたように、土人=黒人というイメージに直結するくらいの影響力をこのちびくろサンボは持っていたということが出来るかと思います。

ちびくろサンボはのちに瑞雲舎(ずいうんしゃ)という出版社が出版をしていて、現在はその出版社から流通しています。

「シナの五人きょうだい」のほうですが、これはもともと福音館書店から出ていたものだったのですが、やはり同じく「シナ」が差別的だということで福音館が出版を控えました。

この絵本が瑞雲舎から再び出ることになった時、私は書店で児童書を担当していましたので、瑞雲舎の営業の方とお話をしました。瑞雲舎という出版社が出来てすぐにこの本が復刊しました。それで、営業の方いわくこの本は当時のファンが一定数いるので、確実な数は売れるであろうということでした。実際その通りでした。

この絵本の作者はアメリカ人です。アメリカ人が書いた絵本に、作家の川本三郎氏が翻訳をしてそこで「シナ」という「言葉として」は出てきます。

しかし、描かれている内容としては五人のシナ人がどんな場面に遭遇しても決して屈しない強さを持っており、最後には裁判を受けることになって「こんなにひどい仕打ちをされても屈しないのだから、きっと無罪に違いない」と言われるのです。

シナ人の芯のある強さ、不屈の精神を賛美する内容とも受け取れます。

wikiによると、この絵本で描かれている五人きょうだいの服装は、米国社会が中国の移民労働者に強制をして着させた服装に似ているとのこと。作者には、人種問題に対するはっきりとした意見があったのであろうと推測されます。

川本三郎が「シナ人」と訳したのには、あまり意図がないと推測します。作家なのできっと「シナ人のほうが響きがいいかな」くらいの感覚だったのだと思います。

ですので、この絵本が「シナ人と呼ぶのが差別だ」という理由でその存在を隠されようとするのは、差別用語の逆利用だと思うのです。本当に隠したいことが別にあって、そのためにシナ人という言葉を利用したのではないのかと思います。

今、図書館から「ちびくろサンボ絶版を考える / 径書房」を取り寄せている最中です。

「シナの五人きょうだい絶版を考える」も出版に値するだけのものがあるかもしれませんね。


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