差別に中立はない

図書館から「ちびくろサンボ 絶版を考える / 径書房」が届きましたとの連絡があり、受け取りに行きざっと読みました。

構成としては、径書房編集部がどうしてこの本を出そうと思ったかという前書き、以降は作家・文化人・学者等の様々な意見が掲載されており、まあよくこれだけ集めたと感心する約260ページの分厚い本でした。中でもハイライトは、当時の岩波書店の社長であった安江良介氏へのインタビューで、個人的にはこの部分が私がこの本を読んだ収穫と言えます。

色んな意見を全部読んでいなければ、この本の意義がないのでは?という疑問もあるかと思いますが、その安江氏のインタビューの中で、安江氏がはっきりと自分達(出版社として)の態度を表明していたんですね。それに納得してしまったら、それ以外の意見はもう甘えでしかないということになりましたので、読んでもあまり意味がないように感じましたので・・・(勉強にはなるでしょうけれど)

安江氏は、いくら古典・名作であっても差別は差別であるとおっしゃっていました。そして差別という問題については、作品の側に立って判断するのではなく、差別をされる側に可能な限り近づいて判断をすべきだと。

さらに付け加えれば、これは、「出版社」 対「読者」という問題ではなく、日本全体の問題なのだとおっしゃっています。

例えば、在日朝鮮人に対するイジメに対しては運動すら起こらないのに、ちびくろサンボ絶版に対しては何故こんなに騒ぐのかと。

そして、インタビュアーである径書房の編集者に対して安江氏は「もしちびくろサンボが A LITTLE YELLOW JAPというタイトルだったら、あなたはそれを差別だと思いますか?思いませんか?」と逆に質問をしています。そこで径書房の方は返事に詰まるのですが、安江氏は「そこで態度をはっきりと表明してもらわないとこまる」と言うわけです。

私も、前日の自分のブログで「自分さえ差別だと思わなければ差別にはならないのでは・・・」などと甘い考えを露呈してしまいましたが、やはりそれは間違いだと思いました。そんな甘い考えは通用しないのです。

自分ではそのつもりがなくても、結局はそういうあいまいな態度は、差別を助長する立場にもなってしまうと思います。

この本の存在について考えることは、今の日本の状態にもつながる意義のあることと思いました。というのは、前日のブログで同じように人権問題の点で一時出版がされていなかった「シナの五人きょうだい」がこのように論じられない理由というものが、ちびくろ~と対比すると浮かび上がってきたからです。

それは、ちびくろサンボの場合ですと、所詮「外国」対「日本」の話なので、議論もしやすい点があるのですが、シナの~の場合ですと日本が主体的に絡んでいる問題があるので、論じるのが非常に困難だということです。



 

『ちびくろサンボ』絶版を考える   /   径書房 編



「シナの五人きょうだい」についても言及されている部分があります。