父とシジュウカラ

二男の国語の宿題で、椋鳩十の「大造じいさんとガン」を音読でやっています。

そうだった。大造じいさんとガンは、私も小学5年生の時に教科書に載っていたので読んだのだった。

人間と向き合った時のガン(残雪)の威厳に満ちた姿にハッとしたものでした。

大造じいさんとガンと同じくらいに有名なのが、「片耳の大シカ」です。

画像は、うちの実家にあった片耳の大シカの本です。厳密に言うと、この本は私の姉のものなのですが、私も読んでいたので、そして姉がこの本に全く思い入れがないようなので、夏休みに実家に行った時に、私のもとへ持ってきたのでした。

この本の中に収められている「父とシジュウカラ」は、15ページほどの短いお話ですが、とっても好きです。

父がシジュウカラが好きで、息子も一緒になってかわいがっています。父の友人の医者が家をたずねてきた時に、その父の友人が「二十年もシジュウカラにえさをやり続けているなんてなんにもならんことをしている人もいるもんだなあ。もっと役に立つことに興味を持って、二十年もやったら、天下に知られるようなえらい人間になったかもしれんのになあ」と言います。中学2年生にもなった息子は多感な時期で、ふとこう思ったりしました。

「小鳥たちと遊ぶなんて、役にたたないことかもしれない。大人や中学生がこんなことをしているなんて、ほんとに、なんにもならぬ、つまらないことかもしれない」

息子はそんなことを考えて暗い気持ちになり、ひと晩そんなことを考えてろくろく眠れませんでした。

翌日、父の友人と一緒に山へ出かけ、父の友人はその自然の素晴らしさに感嘆するのですが、父は「きみがこの自然から見たようなものを、私はあの小さいシジュウカラから見ているのさ。ちょっと見ると役に立たないようなものでも、お金や名誉よりも、もっとよいものを作り出すことがあるからね」と言います。

「じゃ、なにを作り出すんだね」

「うつくしい心さ」

「わははあ、まいった、まいった」

と言って、父の友人はひたいを手のひらでたたきました。

ぼくはなんだか、きのうからのくるしみが、いっぺんにとびさったような気がしました。

・・・というお話です。

地味なお話ですけれどね。いいお話だと思います。



片耳の大シカ  /   椋 鳩十 (旺文社ジュニア図書館)(絶版)