「シナの五人きょうだい」絶版を考える
「ちびくろサンボ絶版を考える」は書籍となり出版されました。
同じように、人種の差別問題がからんでいる絵本として「シナの五人きょうだい」があるのですが、こちらのほうはちびくろ~と比較して話題にあがらないのです。
評論家の呉智英(くれ・ともふさ)氏も、このことには疑問を持っているようです。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161221-00000018-pseven-cn&p=1
第二次世界大戦中には、日本は中国のことを「シナ」と呼んでいました。それには侮蔑をするという意図があってのことでした。
しかし、戦争終了後、日本の外務省がシナと呼ぶことを禁止します。「中国」と呼ぶようにと。
この「中国」の意味が、「世界の中心」を意味するというのは、私も初めて知りました。
右翼はこの「中国」という呼び名の意味と、「シナ」と呼ぶことが禁止されたことに対して反発をするのでしょう。
でも、本当に不思議ですが、「東シナ海」とか呼ぶのはいいんですよね?禁じるのならば全てに対して禁じなければならないはずなのですが。
「シナ」と呼ぶことに反応をするということは、その言葉を敢えて侮蔑の意味を持って使う人達、今でも戦時中のマインドを持つ人達に反発をするということであると思います。
しかしその理論でいくと、「シナの五人きょうだい」が一度絶版に追い込まれたのは「シナ」と呼ぶのが差別だとする言わば左側の人達の作用ということになります。
これには私は疑問を持っているのですよね。
あの絵本は読んでみるとわかるのですが、最終的に中国人が裁判にかけられ、何事にも屈しない中国人を見て裁判官が「こんなに屈しないのだから、きっとこの中国人たちは正しいのだろう」と言うのです。
私の持論ですが、この「中国人が正しい」という部分に反応した右側の人達の働きかけによりこの本は絶版になったのでは?と思うのです。
この本が一度絶版に至った経緯を知りたいのです。
「ちびくろサンボ絶版を考える」の時に、当時の岩波書店の社長がインタビューを受けて発言したように、「シナの五人きょうだい」についても当時の福音館書店の社長にインタビューをしてほしいと思います。
そして、「シナの五人きょうだい」とタイトルを付けた作家の川本三郎氏にも「シナ」という言葉を使ったのには意図があったのかどうかを訊いてみたいですね。
私は当初、川本氏は語呂がいいから使ったのだ論を唱えていましたが、昨夜川本氏のwikiを見てみたところ、氏は安保闘争の頃に闘った学生にシンパシーを寄せていたとの記述があり、左側の人と思われます。
今では、語呂論よりも、問題提起をするために敢えて「シナ」を使ったのだ論に変わりました。
この本が絶版においやられたのは、シナという言葉の問題でなく、絵本の内容が「中国人の屈しない強さを賛美」し、結論としてそれが「彼らが正しいからなのだ」という内容だったためだと、私は思っています。
「ちびくろサンボ絶版を考える」の本の中でも、「シナの五人きょうだい」について言及している部分があります。
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