「唯物論」と「唯心論」

先輩のツイッターで、マルクスの貯金箱のリツイートを見て、「やだ・・・欲しい」と思って買いました。

あらかじめ申し上げておくと、もちろん「資本論」は読んだことありません。

48年間生きてきて、資本論を読んだことのある人にまだお会いしたことがありません。

マルクスのことを語る時に引き合いに出される「唯物論」について語りたいと思いますが、人間である以上、唯物観から逃れることは出来ないと思います。

そして、唯物論と似た言葉で唯心論という言葉もあります。

これは、どうやら対義語のようであって対義語ではないのですよね。

例えば唯物論=性悪説、唯心論=性善説のようにも見て取れるように感じますが、私の考えでは唯物論と唯心論は同居をし、その違いは「出発点または到達点」にあると思っています。

私の場合、心(唯心論)から発したものの到達点が物(唯物論)で示されることがあったりするので、対立する概念ではありません。

例えば、ホームレスの人がいます。

私は、その人がその時点で必要とするものを熟考し、物なりお金なりで必ず示します。

だって、やはりそうしない限り、いくら気持ちがあったって相手のためには何の役にも立たないではないですか。

例えば、アフガニスタンの人々の生活用水を運営するために現地で頑張っている中村哲さんのことを考えてみても、やはり彼らにとって必要なのって、がんばっているね、と思ってもらうことだけではなくて、募金なりなんなりの実際的な支援だと思うんですよ。

この方程式でいくと、唯心論から出発→唯物論に到着となるわけなんですが。

お金の使い方には、その人の性格が出ますよね。

私はお金に汚くはないのですが、お金の使い方には厳しい視点を持っています。

反対に、唯物から出発したものの行き先って、到達点が心にはなりにくいのでは?と思います。





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