とて とて とて と。

2013年は、新美南吉氏の生誕100周年ということで、息子の小学校の低学年のクラスで新美南吉の本の読み聞かせをしました。

選んだ本は、「てぶくろを買いに」です。

「てぶくろを買いに」は、多くの出版社から出ていますが、私は自分が小学校1年生の時に読んだ本をセレクトしました。

「てぶくろを買いに  /  子ども図書館シリーズ・大日本図書」です。

この本の中には6つのお話が入っています。「てぶくろを買いに」は、大メジャーなので、他にもいいお話があるよということで敢えて外しました。

その本の中から選んだ2つのお話のうちのひとつは「子どものすきな神さま」。

森に住む神さまが里に下りてきて、子どもたちに混ざって遊ぶというお話。子どもたちが、学校ごっこをしようといって一列に並び、「いちっ」「にっ」「さんっ」・・・と声を出していくと、12人しかいないはずなのに「じゅうさんっ」と声が聞こえたのです。

子どもたちは「そこだっ」と言って神さまをつかまえようとしましたが、神さまはあわてて赤い片方のくつを落として森へ逃げていきました。

子どもたちは「神さまはこんなにかわいいくつをはいていたんだね」と言ってわらいました・・・というお話です。

日本で「神さま」というと、話が変な方向へ行ってしまったりもするのですが、このお話は純粋に、海外で言うと「アニミズム」と言えるお話であり、「精霊」の存在を今の子どもたちにも少し想像してみてほしいなと思ったのです。

もうひとつは「ひろったラッパ」。

ある男が、西のほうで戦争があるというのでそちらのほうへ向かってみると、途中でラッパが落ちていました。男はそのラッパを使っててがらを立てようとラッパを吹きながら歩きます。しかし、お花畑は踏み荒らされ、家の戸は閉まり、人々の顔は青ざめていました。

男はあちらこちらの村に残っている人々を集め、「みなさん、げんきを出しなさい。ふみあらされたはたけをたがやし、むぎのたねをまきましょう。」と言って、朝一番に起きてラッパを吹いて人々を励ましたのです。


とて とて とて と、

みな みな おきろ、

もう朝だ。

とて とて とて と、

くわをばもって

はたに 出ろ。

とて とて とて と、

たねをば まけよ、

むぎのたね。

とて とて とて と、

とて とて とて と。

やがて、まいたたねからめが出て、野原いちめんに、むぎの実るときがやってきたのです。


本のあとがきより

この童話が昭和10年、すなわち、太平洋戦争の直前に書かれた、ということは実に象徴的で、南吉の平和主義をよく示すものです。戦争のために使おうとしたラッパが、戦後の復興をうながすために使われるようになった、というこのものがたりには、南吉の全人格があらわれているばかりでなく、十年後の日本に対してほとんど予言的であるとさえ言っていいでしょう。


小学校1年生だった私は、この「とて とて とて」がすごく文学的だなと思ったのです。

皆さんも、試しにラッパの音を文学的に表してみようとしてみてください。とても「とて とて とて」とは思いつかないと思います。

宮沢賢治に匹敵する言葉の魔術師ですよね。


この子ども図書館のシリーズの監修者は、神宮輝夫氏で、この「てぶくろを買いに」の6つの短編童話には、版画家の畦地梅太郎氏が絵を書き下ろして下さっています。

私は本のお話のみならずその挿絵にずっと惹かれていて、大人になってから畦地梅太郎氏がすごい画家だったということに気が付きました。

神宮輝夫氏は、「このシリーズには一流の画家をあてて子ども達に読んで欲しいと思った」と言っています。

物を作った人のねらいをそのまま受け取ることの出来た喜びというものをわかっていただけますでしょうか。

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