#保育園落ちたけど政治利用されるのは
ごめんだ!・・・というのを見つけました。
待機児童問題に、反原発・反安保・反政権など余計な物をセットにして騒ぎ、本当に困っている人達の足を引っ張るのをやめて欲しいという意。以下、引用。(同一人物の言葉)
今の政権に反対であることを前面に押し出さないで、保育園を増やし保育環境を良くし保育士の待遇を改善する活動はできないものか。
私は利用されるために自身の経験をツイートしたわけじゃない。
これでは本当にしんどい保活体験が自由にツイートできない環境になってしまったじゃないか。
IWJやアベ打倒活動家の為にツイートしたんじゃないんだよ。働いている間に子供を安心して預けられる場所が少ない、切実な気持ちなんだよ。
市民活動家や共産党系の議員さんがフォローしてきますけど、うちの子はいじめに加担したり人の道を外れたりしてほしくないと同時にシールズに入るような人間にはなってほしくないと思って育てております。
・・・とのことです。
そうねえ。社会的な問題が、この待機児童の問題だけだったら、私、きっと国会前に行かなかったですよ。
でもね、よ~く勉強をすればね、この人の言っている「反原発・反安保・反政権と一緒にしないでほしい」ということが、はっきり言って「間違っている」ということがわかるはずなんです。
勉強をすればね、それらのしわ寄せが、社会保障や行政の予算につながっているということがわかると思うのです。
それにね、人は生きている限り、政治的にならないなどということは出来ません。
「政治に関心がない」これでさえ政治的な姿勢なのです。
だから、この方の主張している「自分は政治的ではないけれど、政治的なことに巻き込まないでほしい」ということは、主張として間違っている。
そもそも、政治的にならずしてどうして政治を変えられるものか。
もう一つ、気に入らないのは、子どもに勝手な理想を押し付けるなってこと。
こどもだって、立派な一人の人格を持った個体です。
この人がいくら「こうなってほしい、こうならないでほしい」って言ったって、そんな親、こどもにとっては目障りなだけですよ。
さらにもう一つ。この人の主張によると、この問題は当事者こそが考える問題だということを主張している。それでは、いつまで経っても当事者だけの問題のままではないか。その反面、自己責任という考えには疑問だということも言っていました。
自分で自分の問題を当事者だけの問題にするなんて、ばかげています。
6年ほど保育福祉労で労働組合立ち上げに関与してきました。最終的に保育福祉労を支援する党は選挙時に私たちの活動を利用する。選挙協力を請う。普段の活動には資金を出さず他政党批判活動に連れ回す。福祉に力を入れているというのは大義名分だけ。
↑ どうやら、このことに根を持っているようです。
資金を出さないから「利用されている」ということと解釈していると受け取れるなー。
資金を出せば、利用していないことになるのかな。(唯物的だ!)
自分こそ、下心持っているのでは?
まだまだ他力本願なところが見られますよ。
自分の活動をクローズアップしてくれて、こちらも逆に利用させてもらってラッキーくらいに思ってやっていってください!
忘れないでね。人は生活をする以上、政治的にならないでいることは出来ないんだってことを。
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